え?茶道って実は禅?瞑想?ヨガ?
茶道というと堅苦しく、畳の上で正座をしてお茶をいただく、というイメージですが、最近はテーブルでできる茶道があると知り、早速体験してきました。
お湯は釜でなく、保温ボトルのお湯を使います。この時点でとっても現代的!
興味深かったのは、茶道の歴史。その源となるのは、自然を敬う気持ちや自然との融合を大切にする「禅の心」ということでした。お茶を点てるプロセスのひとつひとつの所作に深い意味が含まれ、丁寧に行うことで気持ちが整い、ざわざわしていた頭の中はしーんと静まり、まるで瞑想をしているかのような静寂を味わうことができるというのです。お茶の作法としてのイメージしかなかった茶道の奥深さにはっと気づかされました。
日本人として、日本人の心を表すこの「茶道」というものに出逢うまで大分遠回りしてしまったと感じた貴重な時間でした。今までほとんど興味を持たなかった私にとって、突然殴られたような大きな衝撃さえ感じました。
そもそも「禅」はどこから来たのでしょう。漢字だし、元々中国から伝わったものと思いましたが、そのルーツはなんと!インドの"Dhyana(ディヤーナ)"なんだそうです。ヨギ、ヨギーニにはお馴染みの言葉ですね。ヨガ八支則の最終段階である「三昧(Samadhi)」の手前のディヤーナ「静寂」のことです。
ディヤーナ(インド) → 禅(中国)→ 茶道(日本)
色んな事がこの数時間で一本の線で繋がりました!!
あの茶道のレッスンで一番感動していたのは私かもしれません。
若い頃、健康維持のために始めたヨガ。まずはアーサナ(ポーズ)から入り、ヨガ哲学、瞑想にも興味を持って、やがて自分を見つめること、静かな時間を楽しむこと、つまり、「心を収めること」まで学んできました。それは遠いインドから始まり、西洋に渡り、それが日本にもやってきて、今やエクササイズのひとつとして誰もが楽しめるようになってきました。ヨガをすることで心が落ちつくと気づき始めている人は増えていると思います。
ヨガをきっかけに、身体と心に癒しを求め続ける人間の原点は何だろう?とふと思うことがあると思います。それをずっと探っていくと辿り着くのは、5000年という長い哲学の歴史を持つインドです。人々が長い間生きていく中で、人が生きる意味を考え抜いた続けた結果、得た答えは、自分を知るための「静寂"Dhyana"」だったのでしょう。人々が求める「心の癒し」である『禅』が、広く中国~日本にまで伝わったのでしょうね。
現代の私たちは普段何気なく生活していますが、ところどころにその名残が感じられます。
さて、今週の金曜日はジムでのヨガです。マハトマ・ガンディーが障害を終えるまで毎日寝る前に開いてその日必要な教えを得たと言われるヨガの経典「バガヴァットギーター」から言葉を一つずつ、その言葉を実感できるアーサナをひ紹介していきたいと思います。
お楽しみに!
☆3/15(金)20:00~ ガールズファンボクシング 浅草橋にて
0コメント